第9話 歌人「松木 淳」(後編) 部落民が「差別を詠う」、島光社の結成  

部落民が「差別を詠う」、そして島光社の結成

松木淳は製陶所で働くうちに保育園の保母・杉野雪路(仮名)と知りあう。いつしか松木淳は雪路に好意を抱くようになる。
■われ初めて女性と夜の道を歩みし彼の夜のこと心を去らず

■君と二人彼の小駅の木柵に夜汽車を待ちしこともあるかな

この歌にみえる女性が雪路をさす。松木淳は、言い出しかねていたことを遂に彼女に告白する。

■秘めしわが身の素性をば彼の女に語りし夜の街はづれ道

自分が部落民であることを告げたのだ。それだけ彼女に対する愛情と信頼感が高まった結果であろう。

■君はわが心を知れるたゞひとりの女性なり寂しき世路のひかり

雪路との出会いは松木淳の心に火をともした。彼はそれまでの沈黙を破り、差別を告発する短歌を詠いはじめる。

差別を詠う

■エタとゆう名の呪はしや人として人の仲間に入れれざりき

■我々の業と思ひてあきらごうよと泣く友にさとす業と何か

■反逆の血さえも燃ゆる折は虐げられし兄妹想へば

部落差別の痛みや解放への希望を語る文芸は戦前にもあった。

しかし、それらの書き手はほとんどの場合は部落外の人びとだった。

なぜなら、貧しさと差別のせいで部落の人びとは学校に行けないものも多かったのだ。

つまり、部落民は差別のせいで文字を奪われていたとも言える。

そんな中で松木淳の短歌は、部落民自身の手によって、部落民の感性を働かせて書かれた稀有のものである。

全国的にみてもめずらしい。もっと現代の人びとは彼の文芸を高く評価すべきである。

島光社の結成

雪路は松木淳の心をしっかりと受けとめた。晩年、彼女は筆者の問いに対して「結婚しようと思っていました」と答えている。

だが、事態は思うように進まない。松木淳の肺結核が発病してしまったのだ。松木は虹ケ浜結核療養所(光市)にはいる。約一年間の闘病生活ののち、病の癒えた松木は大島郡の久賀の町へ姿をあらわす。

姫井伊介の要請により、当時低調だった大島郡の部落解放運動を活発化させることをめざして。

まず手はじめに松木が取りくんだのは、部落の人びとのトラホーム治療であった。松木は若者たちに働きかけ、若者たちだけで構成された島光社という隣保事業をたちあげる。松木や若者たちは慣れない手つきで、患者たちの洗眼をしてまわる。

そのころ、雪路との間は差別のために引き裂かれてしまう。最後の別れに雪路は松木のもとを訪れる。

■女はたゞ愛のみに生くと我を去りて遂に嫁ぎぬ幸あらばよし

雪路との別れが松木淳を強くした。彼は島光社の運動に熱を入れて取りくむ。キリスト教徒の大浜亮一や真宗僧侶の桂哲雄の協力もあって活気をおびてくる。

トラホーム治療の次は、何と言っても部落の人びとの生活を保障する闘いだ。当時、部落は不景気のドン底にあえいでいた。何とかしなければ──。

だが、私的な事情によって松木は大島を離れ、小野田の姫井伊介のもとへ帰って行く。松木のあとを受け継ぎ、島光社を指導したのは真宗寺院僧侶の桂哲雄だった。