第6話 姫井伊介(前編) 水平運動を肯定する山口の融和運動

第6話 姫井伊介(前編)

「破壊者ダ、姫井君ハ

一九二八年(昭和四)十二月四日、この日午前の山口県議会は野次と怒号が乱れ飛び、騒然たる有様だった。壇上で演説しているのは、県会議員の姫井伊介。姫井は厚狭郡区から選出された無所属議員。

彼の支持層は小野田地域の貧しい労働者・農民で、政友会が圧倒的多数を占める山口県議会にあって、姫井は無産党議員のように野党的発言を繰り返していた。とくに部落問題についての発言は姫井伊介の独壇場であった。

その日、姫井が部落問題について発言すると、議場内から「破壊者ダ、姫井君ハ」という野次が飛んだ。破壊者とは社会秩序の破壊者を意味しており、治安維持法違反を意味する。

部落問題について発言すれば、「破壊者ダ」という野次が浴びせられる。これからみても、当時の日本社会にあって部落差別がいかに激しかったかが知られる。

部落内に居住をさだめる

姫井は小野田の製陶工場の経営者であったが、一九一八年(大正七)の米騒動前後の労働者・農民の苦境をみて、その救済の必要性を知った。それ以後、姫井は社会事業(現在の社会保障や社会福祉の前身)に生涯をかけるようになる。

多くの社会問題の中でも、もっとも姫井をとらえたのは部落差別問題だった。姫井は、山口県庁に新設された社会課の嘱託となり山口県の社会事業推進を主導するが、とりわけ部落問題には熱を入れた。

小野田から山口県庁への通勤は不便だったので家族を連れて山口町へ住まいを移したが、その場所は山口町の被差別部落内であった。赤松照幢がおこなったセツルメント活動にならったのである。

水平運動を肯定する山口県の融和運動

一九二二年(大正十一)に全国水平社が創立されて水平運動がおこると、いち早く姫井はこれに反応し、水平運動への共感を隠さなかった。

山口県当局は水平運動への対応を迫られ、姫井伊介にその指導をゆだねたので、姫井が中心的役割を果たして融和運動団体の山口一心会が設立された。

融和運動といえば水平運動の対抗物として反動的役割を果たすものとみなされることが多いが、山口県一心会は水平運動を肯定するという全国的にみても特徴ある路線をとった。