第5話 山口県水平社 創立前夜

山口から3人の若者が

全国水平社の創立大会が開かれたのは、1922年(大正11)3月3日、場所は京都市の岡崎公会堂でした。会場にはたくさんの人が参加し、立錐の余地もないほど。聴衆は建物の外の道路に溢れるほどだったといいます。この全国水平社の創立大会に、山口県からは3人の若者が参加しました。柳井伝一、盛岡数雄、下枝主税の3人です。
 この3人は洋服の行商を仕事にしていたのですが、たまたま仕入れのために京都市を訪れ、水平社創立大会が開かれるのを知って参加したのでした。

 人の世に熱あれ
    人間に光あれ

 3人はこの水平社の精神に燃え上がりました。

 これまで差別の下でぐっと歯をくいしばって、こらえたことが何度あったことか。今こそ、「差別は間違っている。差別をやめよう」と叫ぶ時がきたのです。三人は故郷に帰ってくると、水平社の精神を周囲に熱を込めて語りかけました。3人の故郷は、小郡町の近くにありました。郷里の有力者の中野義登が賛同してくれ、また真宗僧侶の隈井憲章や藤野良雄らも同志として起ち上がりました。
 隈井憲章は六年前の1916年(大正5)に、「全国我党の大同団結を望む」という一文を大和同志会の機関誌『明治の光』に掲載した人物です。そこでは全国の差別された人びとが大同団結して、差別撤廃に向けて政治活動をしよう、と呼びかけています。まさに全国水平社の精神と同じことを主張していたのです。約一年間かけて山口県内のあちこちに、彼らは出向き、山口県にも水平社を作ろう!と呼びかけて歩きました。

 

山口県水平社の創立
 ついに翌1923年(大正12)5月10日、山口県水平社の創立大会が開かれました。場所は小郡町の真宗寺院・信光寺でした。

 

 その日、大会開催を知らせる花火が打ち上げられ「正義の為に戦へ」「全国に散在する部落民よ団結せよ」などと書かれたのぼりがたくさん立てられました。「全国水平社通信隊」と書いた白タスキをかけた自転車部隊は、赤白の小旗をハンドルにこうさして走り回りました。小郡駅を降りた群衆が信光寺まで列をなし、県内各地からの参加者は一五〇〇人を超えました。