長生炭坑水没事故から学ぶ ~大分の中高生が現地研修~

大分県宇佐市内の人権学習会に参加する中学生・高校生、引率者ら30名が、人権バスツアーで宇部市を訪れ、長生炭鉱の水没事故や部落問題についてフィールドワークをおこない、学習を深めた。

 

宇佐市の人権学習会に参加する中高生らは、毎年、人権や平和に関する現地研修をおこない、部落問題をはじめ、ハンセン病問題、水俣問題などについての学習を深めており、今年は宇部市を訪れた。
 午前中は、宇部緑橋教会で長生炭坑の「水非常」を歴史に刻む会の内岡貞雄・副代表から、朝鮮人強制連行・長生炭坑水没事故についてのビデオを視聴し、解説がおこなわれた。
 その後、西岐波にある追悼碑や水没事故跡地やピーヤ、炭住跡地などのフィールドワークをおこない、学習を深めた。 午後からは、宇部市隣保館上宇部会館で、山口県人権啓発センターの川口泰司事務局長より、部落問題についての講演がおこなわれた。
長生炭坑の「水非常」を歴史に刻む会
 戦前、宇部市に多くの炭鉱があった。石炭産業の一番きつい部分を担わされたのが朝鮮人坑夫であった。宇部市の西岐波にあった長生炭坑は宇部市で最も早くに朝鮮人が強制連行されており、1258名(1939年頃)が働いていた。
 1942年、長生炭坑で「水非常」(水没事故)が起き、183名もの人々が亡くなった。犠牲者の7割にあたる137名が朝鮮人だった。
 水没事故から40年目、1982年に地元有志や公民館によって「長生炭坑受難者之の碑」が建立されたが、183名の名前も、そのうち137名が朝鮮人であったことの歴史的経緯も何も書かれていなかった。
 この碑に183名の犠牲者の名前がないのも、朝鮮人に対する加害者としての反省がないのも、当時の皇国史観を今もって、是としているかに他ならない。
 このため、山口代表、内岡副代表らは1992年に「長生炭坑の「水非常」を歴史に刻む会」を立ち上げ、「日本人としてお詫びの言葉を入れた碑を作るべきではないか。陰に多くの犠牲があったことを知ってほしい」と、新たに追悼碑を作る運動を進め、今年2月2日についに追悼碑が完成した。