忌避意識 〜結婚差別問題の背景を考える 近畿大学 奥田 均さん

■忌避する論理

障がい者差別、女性差別、在日外国人差別など、●●差別という場合は、人を指して使われている。しかし、部落差別は「部落出身者差別」と言わない。ここに「部落差別」という地域に対する差別の特徴がある。

世間の人は、部落出身者でなくても、被差別部落に住んでいれば「部落出身者と見なされる」。そんな差別を受けたくないという市民の願いが「部落出身者と見なされる可能性」を避けようとする意識を形成している。それが忌避意識である。

この忌避意識は部落に対するストレートな差別意識とは異なる。市民が市民の視線を感じ取り、お互いがそれに縛られながら「部落出身者と見なされる可能性」を回避していくという関係である。

忌避意識は部落差別の現実を前提としている。「部落出身者のように見られたくない」との発想は、部落出身者への差別の上に成り立っている。誰よりもそのことが分かるが故に、こうした行為は「仕方がない」ことであるとの言い訳(自己弁護)を求める。そのときに動員されるもの、それが「偏見」である。

また、この忌避意識の構造は、忌避の対象を拡大させ、結婚や土地購入、校区再編など様々な場面で、差別の現実を作り出している。

■忌避意識の克服へ

忌避する(差別する)基準は外からやってくるのではない。自分の中にある基準(主観)と間違った部落問題認識が自分を律し始める。それなら、正しい部落問題認識や科学的な人間観が自分の中にしっかりと根を下ろせば、自分で自分を変えていくことは可能ではないのか。

世間や周囲の目を気にしながら縛れて生きているのなら、差別的な価値観の「世間体」から、「人権的な価値観の世間」に変えていくことで、変わっていくのではないだろうか。そのためには、人権侵害救済法などの法整備を行うことは、差別の抑止力になる。さらに、部落差別を禁止する差別禁止法が必要。人間の価値観を変えていくためには、人権教育・啓発が必要である。このような視点で忌避意識の克服に取り組んでいく必要がある。

(山口同宗連第23回研修会の記念講演より一部要約しました)