部落の歴史像 その捉え直しと論点 東日本部落解放研究所 事務局長 藤沢靖介

2月27日に開催された山口県東部地区部落問題研究会第18回講座において、東日本部落解放研究所の藤沢靖介事務局長から「部落の歴史像」と題した講演がおこなわれた。以下、講演の概要を報告する。

私と部落問題

私は東京の府中市で生まれ、26才まで自分が部落出身だと知らなかった。21才の時に、狭山事件が起こり、当初から石川一雄さんを犯人扱いする報道 に疑問を持ち、狭山闘争に参加しはじめた。

そこで解放同盟の人たちと出会い、東京にも部落があることを知り、母の実家が部落だと知った。当時、皮革産業で 有名な地域の足立区に住んでいた。そこで皮革の歴史などを知るなかで、これまで学習してきた部落史に疑問を持つようになった。地元府中の部落の歩みをみて も、江戸時代より前の歴史があった。

「人が住みたくない場所」ではなく、鎌倉街道のメインにあり、周辺の部落も同じような状況だった。江戸幕府が、ある日 突然、農民の不平不満をそらすために、普通の人を「上見て暮らすな下見て暮らせ」と「さらに低い身分」をつくり、「人の嫌がる仕事をさせた」という従来の 説明に疑問を感じていた。

社会で不可欠な仕事・役割を担う

なぜ部落が差別をされたのかというとき、

  1. 人の嫌がる仕事、賤しい仕事をしていたから(職業起源説)、
  2. 「普通の人」が、政治的に最底辺身分のレッ テルを張られ、人の嫌がる仕事を強制されたから(近世政治起源説)、
  3. 「朝鮮人」「帰化人」の子孫だから(異民族起源説)、
  4. 乞食、脱落者、犯罪者、行き 場のない人々(罪人起源説)と言う人がいる。

しかし、これらはすべて自分たちの差別を合理化する理屈でしかない。例え民族が違っていても、差別をしていい 理由にはならない。「人が嫌がる仕事」「賤しい仕事」というが、その価値観は時代とともに変わる。当時の被差別民の集団性や職能をしっかりと見る必要があ る。近世社会で部落は必要不可欠な仕事と役割を担ってきた。

  1. 弊牛馬の解体処理「村の馬係的存在」としての役割だった。牛馬は捨てるところはなく、皮革製 品や肥料(牛骨粉)、薬品、食肉などすべて活用されていた。江戸時代、食肉は禁止されていたが、実際には「薬食い」として大名や皇族なども食べていた。し かし、牛馬の生死に関わるのは「特別な領域」という感覚、部落の人を忌避と専門性(技術)をもつ人たちという感覚を持っていた。その後、ケガレ意識が制度 化されて庶民にも浸透するなかで、差別を正当化するようになった。
  2. 「地域の警備」役
  3. 医薬業、竹筬作り(織物機械の心臓部)、
  4. 角付け芸、万歳などの芸 能・文化、地域社会にとって必要な役割・仕事をやっていた。部落と貧乏が結びつくのは近代である。被差別者はもっと主体的に生きてきた。

生活や職業、役 割、運動などをもっとしかり見ていく必要がある。共同体の正規の構成員の権利が認められていなかった。枝村としての扱いだった。

「いる」のに「いない」か のような扱いをされ、発言権を認められていなかった。「仲間にいれない」という排除の差別だった。今でも同じようなことをしていなだろうか。

外国人労働 者、派遣労働者、社外工(下請け)など、社会に不可欠な仕事をしているにも関わらず、不当な扱いをされている現実がある。部落問題は、今の日本の社会のあ り方に深く関わっている。

差別する社会は“不完全な社会”であり、多様な人たちが様々な立場や関係でつながっていく社会を目指したい。